GWの後半に伝手あって、「キャンプ座間」見学に行けることに。桜祭りなど開放行事はありますが、元自衛官の知人の骨折りで、学生時代の9人の同期で入場できました。当然ながら、ゲートはアメリカ軍が管理し、ごっつい銃器を持ったMPにボンネット内までチェックされと、ここまではちょっと緊張気味。
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 中に入ると、東京ドーム50個分の広大な敷地で、緑も多く、晴天の皐だけあって、目の間にある丹沢山系が美しく。
 今回、初めて知りましたが、自衛隊の第4施設群も併設されていて、前半は旧陸軍士官学校関係の史跡を見て回り。資料館には現有火器や旧火器、玉音放送のレプリカ等もあり。皇族用避難壕は、かつて尋ねた松代の大本営跡を彷彿とさせました。
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 歴代の卒業生が記念碑を建てるのですが、戦況が圧迫した1943年だけ、血判を取って地中に埋めたそう。また、士官用の軍馬の厩舎跡や失火による48頭の犠牲などを、広報の方に教えて貰いました。
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 軍属とその関係者が食事できるレストランで昼食を取りましたが、その量が尋常でない!ノーマルでというのが、こちらの大盛り級。まさに、アメリカン・サイズ。
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 午後は、メインイベントの飛行大隊の見学に。有事ならば即中止だったのですが、平時とあってすんなり入場。アメリカ軍広報官と日本人で連邦職員扱いのベテラン通訳さんが付いてくれて、なんと滑走路からハンガーまで。
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ハンガー
 おお、至近で見たUH60ブラックホーク!エンジンの整備中でここまで見ていいの?レベルで、一緒にいた元自衛官もびっくり。ちょうど、1機が訓練飛行を終えたのですが、アメリカ軍の広報官が「乗ってみる?」ええっ、兵員キャビンだけでなく、なんとコックピットまで、乗せて貰ってテンション爆上がり!
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  「このあと、もう1機が飛ぶよ」と至近のハンガー内からブラックホークが離陸し、爆音を上げながら、小田原方面へ。この距離で体感すると、凄い迫力でした。
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 若い(く見える)広報官だったのですが、すごく落ち着いていて。戦死した仲間のブレスレットを見せてくれ、自分は元は救助兵だったと。どちらへと聞いたところ「アフガニスタン」。数十人を救ったが、救い切れなかった兵士もいて。それを忘れまいと。ブレスレットを作って、売り上げを遺族に渡しているそうです。
 見学者の反応が良かったのか、その広報官に連れられ、士官のオフィスへ!歴代の司令官が並ぶ廊下を抜け、在室していたNO.2の執務室へ。国内外の各基地を回ったというその士官の集めたエンブレムを見ていたら、第82空挺師団(元、空中機動師団のマーク)。「これは、オール・アメリカン?!」と質問したら、にやっとしながら、第101空挺師団マークまで持ち出してくれました。
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 最後は、現在、ゴルフ場になっている「練兵」の丘に。かつての演習場を一望に見渡せる高台は、故裕仁天皇が毎年、士官学校の卒業演習を閲兵したそう。カートに乗って陽気にプレイするアメリカ兵を見て、時代の移り変わりと現在の日米同盟の歴史を実感しました。正味、5時間ほどの濃密な「現代史」の見学でした。
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