勝手に茨城応援ツアーということで、8月に茨城会に参加した際に、密にならない歴史探訪に。
 今回の狙いどころは、平将門関連の史跡です。将門の活動拠点とされている坂東市へ。ちなみに、坂東市は、茨城では鉄道の通っていない数少ない市だそうです。
 まずは、将門が政治や軍事の拠点とした居館-島広山・石井(いわい)営所跡へ。小さいながら史跡になっているので、看板を見つけ、細い道を進むと、こじんまりとした石碑がありました。廻りは清掃されていましたが、碑文は設置後、かなりの年数がたっていました。
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 裏手の廻ると、畑が広がり、館がそこまで続いていただろう景色がよく見えます。
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 こちらは、営所にあったとされる石井の井戸跡。
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 表通りに戻ると、将門の三女が後に庵を結んだという国王神社があり。
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 ここから、ちょっと戻ると、関東一帯に兵を進めた際の軍馬を鍛えた、富士見の馬場。平将門の乱後に当時を忍んで植えられたという、九重の櫻があります。
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 続いて、10-15分ほど車を走らせて、終焉の地とされている北山稲荷大明神へ。将門が流れ矢で命を落とした描写のある、石板が見つかったとのこと。ただし、史跡には指定されていないので、有志の方がボランティアで整備しているそうです。看板もないので、少し迷いましたが、表のコンビニで聞き込んで辿り着きました。定員さんも、稲荷は知っていましたが、将門ゆかりの地とはわからなかった模様。
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  さらにそこから、15分ほどの延命院へ。ここは、将門の菩提寺であり、死後、胴が跳んできて、ここに祭られたという将門山があります。静かな雰囲気の中で、胴塚を見てきました。
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 ちなみに、6月に上京した際に、銀座で見てきた将門の首塚はこちら。
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 ここから、市境を越えて、石井営所襲撃の際に妻子が捕まった深井の地蔵尊へ。一度は葦に紛れて追っ手を潜り抜けたものの、戻ったところを見つかり落命、後に地蔵尊が立てられたとされています。当時は湿地でしたが、今も川の流れは残っていて、往時を偲ばせます。
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 最後は、翌日の茨城会(土浦)に向かう道すがら、大宝八幡宮(下妻市)へ。関東一円を納めた将門が、新皇になるよう、巫女の神託を受けたとされる、由緒正しき八幡宮です。ちょうど、催し物の風鈴が飾られていて、心地よい音色を響かせていました。
 今、話題の鎌倉殿(頼朝)も奥州征伐の折に立ち寄って、寄進をしています。
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 ここに行く途中で、車で鳥居を通ったのですが(道路に鳥居!)、なにやら看板が。古代の城跡で、南北朝時代まで続いた大宝城跡だそうです。
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 夕方になったので、今回はここで終了。まだ、筑波山麓の合戦跡の羽鳥とか、真壁とか、湯袋峠とか残っているので、また、いつか、遠征の際に立ち寄りたいです。以前、str会長さんと筑波山に登ったのですが、ご都合が合えば、みなさま、ぜひ。
 ちなみに、史跡巡りでは大宝八幡宮以外、全く人がいませんでした(笑い)。ともあれ、早くコロナが終熄し、制限なく、みなさんとお会いできることを。